しょこら@(@syokora11_kabu)です。
先日、長女が入試に合格した経緯を記事にしました。
これに対して、匿名の方からコメントを頂きました。
中身は端折りますが、こんな感じ。
学歴なんて今時流行らないのに、嬉しそうですね
きっと学歴にコンプレックスのある方なのかなとお見受けします。このブログでも幅広い層のアクセスが入るようになったなぁと、少々感慨深いものを感じています。承認はしませんでした。
人のコメントに反論する形の記事はあまり好きではないのですが、良い機会なので『なぜ自分の子供に良い大学を目指させるか』について私の考えを述べたいと思います。少々堅苦しい内容ですがお読み頂けたら幸いです。
しょこら@の学歴観
日本では、良くも悪くも「大学名はステータス」だと言われます。皆さんはこの点、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
私もその通り、ステータスだという見方は確かにあります。ただそれは、大学やその人の優劣ということでは決してなく
『努力した量』
を表しているのだということです。
難関大学には半端な努力では入れませんよね。誘惑に流されず、不安や葛藤に苛まれながらも、勉学に打ち込んだ者だけがその栄冠を勝ち取れます。
頭の回転やコミュ力といった部分では、高卒の人が東大卒の人を上回るケースはあり得るかもしれない。けれども学生の本分たる学業での努力量に関しては、高卒が東大卒を上回ることは0.001%たりともあり得ない。
良い大学を出た人とそれなりの大学を出た人の間には大きな差がある。大学名を見れば、その人の努力がいかほどのものかが分かる。それが私の学歴観です。
大学入試は、努力した者同士の戦いの場
才のある人は、大学に行かず、若いうちからその道を究める方がいい・・・これ、全くの同感です。ただ現実的にそんな人はほんの一握り。大多数は凡人、もしくは何の才があるか自分ですら分からない人達です。
そんな凡人でも、等しく能力を発揮できる場。それが全国区の戦いの場である、大学入試です。
暗記とか受け身とか、否定的に言われる日本の教育制度ですが、私にとってそんな点は割とどうでもよくて、"同じ土俵" で頑張って戦いゴールに辿り着く、その過程に価値があると考えています。
更に、その努力する姿勢は大学入試で終わりではなく、入学後も、そして社会に出てからも、中身を変えつつ継続的に求められます。学生時代にその姿勢を貫き、合格という成功体験を得た人は、そうでない人よりも努力の「土壌」が身に付いているのではないでしょうか。
若い間"だけ"は、色眼鏡が得られる
この学歴イメージ、大学を出て数年間は有効なのが現実です。例えば就活。
優秀な大学を出ている
≒ ある程度の耐久力と努力が備わっている
≒ 戦力として使い易そう
と捉えられるでしょう。少なくとも書類で切られて面接で自分を売り込む機会すら得られない、という憂き目はかなりの確率で回避できます。
ベンチャー企業やスタートアップ企業の多くが、学歴を全く問わないようになってます。とはいえ、大半の企業はそこまで割り切れていません。「学歴不問」と言いつつ、裏では履歴書を見てこっそり識別しています。
ただ、その色眼鏡が生きるのもせいぜい20代までかな。そこから先は、ビジネスマンとしてのキャリア・経験だけがものをいう世界なので、学歴なんて屁の突っ張りにもなりません。
だから私は子供に頑張って欲しい
私が「子供に良い大学に進んで欲しい」と考える理由は
- コツコツ努力する姿勢を身につけて欲しい
- 成功体験を得て、その大切さを実感して欲しい
- ステータスを持っておくことで、若い間の仕事選びで苦労する「リスク」を少しでも軽減させたい
これら3点です。冒頭の匿名者が言う通り、仮に将来「学歴が流行らない」社会になったとしても、若い頃の頑張りは、きっと子供たちの力になっているものと信じて疑いません。
以上です。お読み頂きありがとうございました。