【24/7】高配当株とかマイレージとか車とか【独り言】

ファイナンシャルプランナーである管理人が、趣味の車と旅行を楽しみながら、配当金による『経済的自立』まで目指しちゃいます!

【再掲編3】遂に50歳になりました!爛れた半世紀を振り返りながら、今思うことを綴る

 

しょこら@です。
本日もブログをご覧頂き、ありがとうございます

Twitterやってます。日々投資の日常(時々毒)を呟いているのでフォローお願いしまーす🐸


早速ですが、記事タイトルにある通り(そして毎年のようにネタにしている通り)本日シックスナイン69は私しょこら@の誕生日でございます。
6年も続けていると、伏せ字にもしなくなりましたw

しかも、今年で
ハーフハンドレッドになりました

「もう50年も生きてきたんだなぁ」
「元気で生きられるのも、この半分くらいか」
様々な思いが去来している日曜朝、です。

先日の【再掲編1】で、私しょこら@のブログネームの由来について書きました。今回はその続きとして、社会人としてのこれまでを振り返りつつ、私みたいないい加減な人間であっても準富裕層くらいにはなれること、そしてそれ以上に大事だなと思ったことについて語ってみたいと思います。

ジジイになると昔語りしがちになるってのは本当ッス~💦


なお【2020年4月掲載記事】のリライト版です。


・・・・・

ブログやX(Twitter)を見ていると、皆さん若い頃からお金の勉強をし、堅実に過ごされていて感銘を受けることが多いです。20代で資産1,000万円とか40代前にして1億円とか、大きな資産形成を果たされているのは本当素晴らしい。

かたや、老後までカウントダウンに入った私。
運用額は5,000万円強、世間の平均よりは多いもののまだFIREには至ってません。本格的に投資を始めたのが30代半ばと遅かったからですが、これまで得られた経験、そして家族の成長などお金に代え難いものをたくさん得てきました。確かに資産形成は遅かったけれど、そこに後悔は全くありません。

以下はそんな『出遅れ投資家』しょこら@の半世紀。長文になりますが、何卒お付き合い下さい。

20代前半のしょこら@

超氷河期の最中、関西の某国立K大学を卒業した私、200社近く落ちた中からなんとか某ゲーム会社に引っ掛かった。

この会社では大卒は直ぐに一兵卒(店舗運営責任者)として地方のゲーセンに配属される。ご多分に漏れず、私も味噌県勤務になったのだけれど、そこでの3年間、日々ヤクザ・ヤンキーとの戦いに明け暮れる羽目になる。
当時はシンナー臭のする特攻服がまだ普通にバイクで国道を走ってて、勤務先のゲーセン駐車場はまさにそんな輩の溜まり場だった。更に、どうみても堅気じゃないパンチパーマが朝からメダル機の周りを占拠しているのはウブな新卒にとって普通に恐怖だった。

そんなストレスを発散すべく、私は夜な夜な近くの峠に繰り出した。漫画『頭文字D』全盛期。愛機はEK9(新古車・180万円)だったが、いつもEFやEGに煽られまくっていた。向こうはガチ勢、こっちはナンチャッテ君だったからね。振り返ってみるとこれが我がカーキチ人生の出発点。

勤務先で嫁さんと出会い、25歳で結婚。
車で使い過ぎ、当時の通帳残高は20万円ほど。
よく決断したな俺。

長女産まれる。
お金は貯まらない。

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20代後半のしょこら@

ヤンキー・ヤクザ相手に病む寸前になり、悩んだ挙句とある中堅メーカー(前職)に転職。ようやく普通に眠れる日々を迎えた。ガチヤクザに比べたらブンブン五月蠅いだけの上司なんてぶっちゃけ蠅みたいな感じだった。

学生時代から希望していた海外関係の仕事に就き、この頃はまさに馬車馬の如く働いた。今ならブラック企業確定の週5徹夜も当たり前、土日も自宅で紙の辞書片手に英語の契約文書と格闘した。その甲斐あってか、1年目から海外出張のチャンスを得られた。最初の行き先はフィリピン。プロ童貞だった私はそこで軽いカルチャーショックを受けつつ卒業証書を拝受。

同時に夜の峠通いも退学した。逆に、サーキット走行にハマり始める。愛機はDC5(中古車・250万円)重たいけど良い車だった。最後は壁に激突して廃車にしちゃったけどね。

次女産まれる。
やっぱりお金は貯まらない(2回目)

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30代前半のしょこら@

数年来の努力が認められ、遂に海外駐在の辞令を頂いた。
行き先はタイ・バンコク。

だがしかし、これが私の人生を360度変えてしまった。タイは人間をダメにするとよく言われるがこれはかなりの確率で真実。私も相当爛れた日々を過ごしてしまった。そして同時に女遊びの恐ろしさと儚さを知る。

タイではゴルフにもハマり始めた。
5年間で300ラウンド強、デビュースコア130が最終的には77(ハーフ37)まで成長した。この時ついたキャディさんは17歳JK。ベストスコアのお祝いにSamsungのスマホを買ってあげた。その後も付き合いは続き「お母さんに紹介したい」と言われた時は流石に焦ったが自宅でご飯を御馳走になっただけの未遂(?)で済む。

当然お金は貯まらない(3回目)

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30代後半のしょこら@

タイから帰国してすぐシロッコに一目惚れして購入(新車で500万円強)
女遊びとゴルフ熱に当てられ、速く走ることへの熱意がすっかり消え失せた私。ドレスアップの世界に転向し更に500万円ほど失なってしまう。某欧州車雑誌にも何度か掲載頂いた。

欧州車のパーツ高いって!!
お金?貯まr・・・


さて、そのころ私は「30代半ばにもなったし、そろそろ家買って落ち着こうかの」なんて、中古の建売を探すのに熱中していた。だが1年後に目の前に建っていたのはなぜか新築の注文住宅だった(4,500万円)
挙句、完成の半年後にアメリカに飛ばされる羽目になった。家を建てたら飛ばされる、都市伝説じゃなかった平成時代。

二度目の赴任先ではとにかくサービスレベルの低さに辟易した。電話口で何度もキレた。アジアン英語レベルだった私、あまりに米人相手に通じないので
「いい加減にせーやテメぇ!!」
なーんて日本語で怒鳴ってた。今思えばただのクレーマーである(テヘペロ)いかに日本が至れり尽くせりかを知り、そして母国語の有難みが骨身に沁みた。

この赴任直後から資産運用を意識し始める。
でも当初は1,000万円あるかないか。

40代前半のしょこら@

アメリカからスライドでドイツへと単身赴任。
一人暮らし、しかもコロナ禍のせいで遊べる場所が全く無かったのでこの頃はお金が貯まりまくった。でももう少し自由に色んな国に行きたかったなぁ・・・

噂に違わず、東欧女子は綺麗だった。

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40代後半のしょこら@

ドイツから帰って数年後、
「歳とったらもうこんな車乗れんしさ?」
等と嫁に意味不明の供述をしつつR8を購入してしまう(中古車・1,200万円)

我がカーキチガイ人生のピークがここ。


更にそのカーキチガイぶりを二重三重に拗らせた結果、去年より大型トラックの運転手に転身し今に至る。

同時期、長女就職。
次女も来春卒業なので子育ては50歳で一段落?

早期退職金を加え、資産が7,000万円こえる。

最短で突っ切るだけが人生じゃない

社会人になってからの経緯は、ざっとこんな感じです。

ご覧の通り、本格的に投資を意識し始めたのが30代後半。スタートがあまりに遅かっただけでなく、趣味にお金をつぎ込むわ海外では遊びまくるわで、マネリテどころか完全に子を持つ父親としてはクズレベルでした(笑)ですが、一周回って今ではすっかり落ち着いております。

さて、ここまで生きてきた学びとして言いたいのは

仕事を頑張って稼げていたら、資産形成なんてなんとかなるのだ!


もちろん、資産運用と同時に取り組むのがベターではありますがね。ただ人的資本さえしっかり出来ていれば遅きに失することなんて決してありません。

むしろ自分の可能性を狭めるくらいなら節約なんてしない方がマシなのでは、とさえ思っています。私も、20代からFIREなんていう概念に腐心して「小さく」生きていたら以下のような学びは決して得られませんでしたもの。

①クソ上司なんて、ヤクザ・ヤンキーに比べたら蠅
②時には自分を捨てるほど仕事に打ち込むのが大事
③海外駐在は「自分の幅を広げる」「お金を増やす」上で最高の機会
④日本のサービスはガチで世界一
⑤女遊びは楽しいが、お金と精子の浪費


他にもここでは書き切れないくらい、あり得ないほど無駄な仕事を多くさせられたし、プライベートでもドブにお金を捨てるようなことばかりしてきました。でもそんな薄汚い経験も全部込みで今の私があるワケで・・・それだけでも十分、ぐるっと回り道をした甲斐があったかなとつくづく感じる50歳の誕生日です。

長々とした自分語り、失礼しました。

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