【24/7】高配当株とかマイレージとか車とか【独り言】

ファイナンシャルプランナーである管理人が、趣味の車と旅行を楽しみながら、配当金による『経済的自立』まで目指しちゃいます!

しょこら@の半生を大暴露!「長い人生、回り道でもいいじゃない?」というお話

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しょこら@(@syokora11_kabu)です。 
本日も当ブログをご覧頂き、ありがとうございます。

ブログやTwitterを見ていると、皆さん若いうちから物凄くお金の勉強をし、堅実に過ごされていて感銘を受けることが多いです。20代にして資産1,000万円だとか、40代前にして〇千万円だとか、若い内から大きな資産形成を果たされているのは本当に素晴らしいことだと感じています。

一方、私はもうすぐアラフィフに手が掛かりそうな側のアラフォーですが、投資の運用額は未だ2,000万円にも届いておりません(一瞬超えたけど、コロナショックで転落)本格的に投資を始めたのが数年前と、スタートが遅かったのがその原因です。

その一方で、これまで得られた経験として、お金に代え難いものがたくさんあります。始めるのは確かに遅かったけれど、そこに後悔は全くありません。

今回は、そんな出遅れ投資家しょこら@の半生をダイジェスト版で綴りながら、今の私を形作るプライスレスな経験を通じて得たことを語らせて下さい。

なお、本記事は身バレ要素が多分に含まれています(知人が見たら、一発で私だと分かりますw)突然削除する可能性がありますので、どうかご容赦下さい。

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20代前半のわたし

超・氷河期のさなか、新卒滑り込みで某ゲーム会社に入社した私は、店舗責任者として3年間、地方の現場(いわゆるゲーセン)で働くことになった。

だがこれも田舎の性、晴れて最高学府を出たにも拘わらず日々ヤクザとヤンキーとの戦いに明け暮れる羽目になってしまった。このあたり、笑い話としては面白いネタかもしれないので、改めて別記事にて語ってみたいと思う。

一方、夜は夜で仲間たちと近くの峠に繰り出してそのストレスを発散していた。一言で言えば「走り屋」というやつ。当時の愛車はEK9。しかし、いつもEFやEGにケツを突かれていた。向こうはガチ勢、こっちはナンチャッテ君だったから。

勤務先で嫁さんと出会って、結婚。
長女産まれる。

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20代後半のわたし

精神が病む一歩手前のところで逃げ込むように今の会社に転職し、カタギの仕事として安寧の日々を得ることが出来た。マジもんのヤクザに比べたら、口やかましいだけの上司なんて天使のように見えたものだ。

希望していた海外関係の仕事を担当することになり、前職とは一転して馬車馬のように働くようになった。今だと完全にブラック呼ばわりされるだろう週5徹夜も当たり前だった、おかげで1年目にして初めての海外出張のチャンスを得た。行き先はフィリピン。ウブだった私は、そこで軽いカルチャーショックを受けた。

この頃、夜の峠は卒業。本格的にサーキット走行にはまり始めた。愛車はDC5。重かったけど良い車だった。最後は壁に激突して廃車にしちゃったけど。

次女産まれる。

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30代前半のわたし

努力の甲斐あってか、遂に海外駐在の辞令を受ける。行き先はタイ。だがしかし、これが私の人生を360度変えてしまった。タイは人間をダメにするとよく言われるが、これは真実だと思う。ご多分にも漏れず、私も随分ただれた日々を過ごしていた。そして女遊びの恐ろしさと儚さを知った。

この頃からゴルフにはまり始めた。5年間で300ラウンド強をこなし、デビュー時のスコア130が、最終的にはベストスコア77(ハーフ37)まで伸びた。ちなみにこの時のキャディさんは17歳。お祝いにSamsungのスマホを買ってあげた。

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(※この画像はフリー素材です)

30代後半のわたし

日本に帰国後、今の愛車に巡り合った。

そろそろ落ち着こうかと中古の建売を探していたが、いつの間にか自分の目の前に建っていたのは新築の注文住宅だった。しかも完成して半年後にアメリカに飛ばされた。通勤電車でたまたま一緒になった弊社人事部長の「しょこら@君、キミ家買ったんだって~?」というニヤついた口調は今でも忘れられない。

アメリカでは、とにかくサービスのレベルの低さに辟易した。電話口で何度もキレた。そしていつの間にか、アメリカ人相手だろうが日本語で怒鳴る自分がいた。いかに日本が至れり尽くせりな国かを知り、そして日本語の有難みが骨身に沁みた。

40代前半のわたし

アメリカから帰国。そして人生初の単身赴任。
おととしから本格的に高配当株投資に目覚め、今に至る

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社会人になってからの経緯は、ざっとこんな感じです。
(勿論、めちゃくちゃ端折ってますw)

最短ルートで突っ切るのだけが人生じゃない

ご覧の通り、私が本格的に高配当株投資を始めたのは数年前です。スタートがあまりに遅かっただけでなく、車とゲームにお金をつぎ込むわ、海外では遊びまくるわで、貯金はおろか、正直言って金融リテラシーの欠片さえありませんでした。

しかし、一周廻って今ではすっかり落ち着き、むしろ地味な生活を送っています。そして投資の軸も定まり、まさにこれからといった心持ちでいます。

振り返ってみると、20代の頃から、ひたすらお金のことだけに腐心して小さく過ごしていたら、以下のような「学び」は決して得られなかったことでしょう。

①ヤクザ・ヤンキーに比べたら怖くない、と度胸がついた
②時には自分を捨てるほど仕事に打ち込むことも必要だった
③海外との仕事を通じて、多くの国の人達と出会った
④日本のサービスは世界一だと感じた
⑤サーキット走行で、車の挙動の限界を掴むことが出来た
⑥女遊びは時間と金のムダだと悟った
⑦ゴルフは心のゲーム。集中力と平常心を養うのが良かった


これまで、あり得ないほど無駄な仕事を多くさせられました。時にはドブに金を捨てるようなこともしてきました。でも、そんな薄汚い経験も全部込みで今の私がある。それだけでも十分、回り道をした甲斐があったのだとつくづく感じます。

最短ルートで資産運用のゴールに到達した先に、果たして何があるのでしょうか?そしてそれは、今という時間を犠牲にして、手に入れるべきものですか?

たまには、そんな自問自答をするのも良いかもしれませんよ。